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大阪地方裁判所 昭和47年(行ウ)87号 判決

原告 北野恵美子

被告 阿倍野労働基準監督署長

訴訟代理人 岸本隆男 宗宮英俊 河田穣 ほか三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和四五年八月五日付で原告に対しなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金および葬祭料ならびに昭和四〇年同法改正法附則第四二条による一時金を支給しないとの処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  清求原因

1  原告の夫北野豊(以下豊という)は、大阪市住吉区所在の運送業株式会社阿知波組(以下会社という)に運行管理者兼配車係として勤務していたが、昭和四五年五月二九日午前一〇時三〇分頃同会社構内整備工場において、エンジン故障のため入庫してきた大型トラツク(以下事故車という)の故障原因を調査すべく、事故車の運転台のキャビンを開けたエンジンブロツクの下部をタイヤとシヤーシの上から頭を下げて約二、三分覗き込んだ後頭をあげた瞬間めまいが起つてエンジン上部に寄りかかり、更にタイヤから降りるとともに地面に坐り込み、同僚の松本増明の肩をかりて会社事務所に戻つた直後急に人事不省となつたので(以下本件発病という)、救急車で南大阪病院に収容されたが、そのまま同日午後一時一〇分クモ膜下出血により死亡した。

2  原告は同年六月一七日被告に対し、右豊の死亡は業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金、葬祭料および昭和四〇年同法改正法附則四二条による一時金の支給請求をしたところ、被告は右死亡が業務中に惹起したものであることは認めながらも、単なる高血圧症(本態性高血圧症)に基づく脳出血(脳内出血をいう、以下同じ)の発作によるもので業務上の理由に基づくものではないとして、同年八月五日付でその不支給処分をした。

3  そこで、原告はこれを不服として同年一〇月二日大阪労働者災害補償保険審査官に対し椿査請求をしたが、同四六年三月一日付で前同様の理由により棄却するとの決定を受けたので、更に、同年四月二八日労働保険審査会に対し再審査請求をしたが同四九年八月二三日付で前同様の理由により棄却するとの裁決を受け、同月二六日裁決書の送達を受けた。

4   しかしながら、豊の死亡は次の理由により業務上の事由に基づくものであるから、右被告 の処分は違法である。

(一) 豊は生前本態性高血圧症患者ではなかつた。すなわち、豊は幼時より病気をしたことのない頑健な身体の持主であり、原告と結婚後も頭痛を覚える程度で、高血圧症患者特有の頭痛、めまい、心悸亢進、肩こり、胸部圧迫等の自覚症状を訴えることはなかつた。従つて、その死亡原因は本態性高血圧症に基づく脳出血ではない。

(二) かえつて、豊の死亡原因は、次のような事情から一過性の血圧亢進を引き起し、それが基礎疾病として豊の有していた脳動脈瘤の破裂をきたし、その結果発生したクモ膜下出血であると考えるべきである。

(1) 豊は真面目で几帳面なうえ、責任感が旺盛であり、会社においては前記のように運行管理者および配車の責任者として会社の運送業務の中枢をなす貨物自動車の配車の計画実施を担当し、人から「仕事の虫」「仕事の鬼」といわれる程に仕事に打込んでおり、毎日八〇台に及ぶ貨物自動車の行先、運転手の配置決定、積荷の形状、重量の検討等運送全般に亘つて細かく神経を配り、これを指揮していた。

(2) ところが、昭和四五年五月二七日午前〇時二〇分頃、豊のたてた配車計画により宝塚劇場へ舞台装置具を運び終り行列して帰る途中の五台の貨物自動車のうち最後尾車が、信号無視によりタクシーに追突したうえ、他のタクシーとも正面衝突し、会社に約二〇〇万円相当の損害を被らせる事故を起した。そのため豊は同日朝社長から、数台の貨物車を同一の運送業務に従事させる場合、乗務員が相互に速度競争の意識の下に無謀運転をする虞れがあるので、これを避け、事故の発生を未然に防ぐため、各車用済み次第順次別々に帰途に着くようにと平常から指示していたのに、今回運転手に右指示を怠つたとして厳しく叱責され、その結果堪えられない程の精神的重圧を受けた。

(3) ついで、同月二九日午前四時頃、同じく豊の配車計画に基づき名古屋方面まで長尺の鋼材を運送していた奴車(補助車)つきの八トン大型トラックが、伊賀上野において、エンジンブロツクに穴をあけて(エンジン割れ、又は足を出すという)運行不能となり、会社に約四〇万円相当の損害を被らせる事故(本件事故という)を起した。

同日午前五時頃自宅で右事故発生の電話連絡を受けた豊は「またやつた」と叫び、平常より一時問も早く出勤し、午前八時すぎ頃社長から、右エンジン割れの原因は、奴車つき八トン車の積載限度の一五トンを超え二〇トン以上と推測される長尺の鋼材を載せた無理にあり、むしろ三〇トン積みのトレーラーにすべきであつたのに、豊の配車計画にその点の配慮が足りなかつたとして、前回にも増して厳しく叱責され、その結果顔色が蒼ざめ緊張するに至つた。

(4) そして、豊は同日午前一〇時三〇分頃、右事故車が会社整備工場へ牽引されてきたので、勢い立つて事故原因を調査しようとし、右事故車の右前輪タイヤに左足を置き、右足をシヤーシにかけて、身体を約四五度に折り曲げる窮屈な姿勢で頭を下げて運転台のキャビンを開けたエンジンブロツクの下を約二、三分覗き込み、「頭の痛いことしやがる」と言いながら頭を上げた瞬間めまいが起り、その後、前記のような経緯をもつて死亡するに至つたものである。

(三) 以上のとおりであつて、豊は、自己のたてた配車計画上の不手際により短日時の間連続的に二度の大事故が起きたため、自責の念にかられていたうえ、社長より再度にわたり厳しく叱責された結果精神的に大きなシヨツクを受け、苦渋の精神感動下にあつて著しく精神が緊張し興奮していたところ、未だその興奮のさめやらぬ間に事故車の故障部位を目撃するや、改めて自己の配車の誤りに対する責任を強く自覚して、右精神緊張、興奮がいやが上にも高まり、瞬間的に一過性の血圧亢進を引き起し、その結果、脳動脈瘤の破裂をきたしてクモ膜下出血を起すに至つたものである。

従つて、豊の死亡とその業務との間には相当因果関係があるといわなければならない。

5  よつて、原告は被告に対し、労働者災害補償保険法に基づく請求の趣旨記載の遺族補償年金等の不支給処分の取消を求める。

二  被告の認否および主張

1  請求原因1の事実中、豊の本件会社における地位、職務内容、同人が原告主張の日時に事故車のエンジンブロツクの下部を覗き込むまでの事実経過、その後豊が会社の事務所で人事不省に陥り、収容された病院で原告主張の日時に死亡した事実はいずれも認める。豊は脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血か、脳出血により死亡したものである。その余の事実は知らない。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実も認める。

4  同4冒頭記載の原告の主張は争う。

(一) 同4(一)の事実中、豊が本態性高血圧症に罹患していなかつた点は争い、その余の事実は知らない。

(二) 同4(二)冒頭記載の事実については、豊は脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血か、脳出血により死亡したものである。

同(二)(1)の事実中、豊が会社において運行管理者および配車の責任者であつたことは認めるが、その余の事実は知らない。

同(2)、(3)の事実は知らない。但し、本件事故について豊が社長から叱責を受けたことは認める。

同(4)の事実中、豊が昭和四五年五月二九日午前一〇時すぎ頃、事故車の運転台のキヤビンを開けたエンジンブロツクの下部を覗き込んだ事実は認めるが、その余の事実は知らない。

同4(三)の事実中、豊が一過性の血圧九進を引き起し、その結果脳動脈瘤の破裂をきたしてクモ膜下出血を起したとの点については前記のとおりであり、原告の死亡と業務との間に相当因果関係があることは争い、その余の事実は知らない。

5  被告の主張

(一) 一般に、疾病の業務起因性に関しては、発病の原因が負傷の場合のように明確でなく、本人の体質的素因、日常生活の状況、環境衛生の状況等複雑な要素がからみあつていて、業務と発病の因果関係を明らかにすることは極めて困難であるから、労働者災害補償保険法一二条の八(昭和四八年法律第八五号による改正前は同法一二条)二項、労働基準法七五条二項、同法施行規則三五条の一号から三七号は、右施行規則の各号に列挙された一定の原因による特定の疾病については業務と発病との間の因果関係を一応推定することとし、右以外の疾病については右施行規則三五条三八号により業務に起因することが明らかな場合でない限り業務上の疾病にあたらないとしている。本件の場合、豊の死亡原因であるクモ膜下出血又は脳出血は、右労基法施行規則三五条の一号ないし三七号のいずれにも該当しないから、同条三八号にいう「業務に起因することの明かな疾病」に該当するか否かが問題になる。

(二) ところで、右豊の疾病は、クモ膜下出血又は脳出血(以下右二疾病を総称して脳血管損傷という)のどちらかであると考えられるところ、クモ膜下出血であれば、強度の身体的努力、精神的感動もその誘発原因となりえない訳ではないが、脳動脈瘤(これ自体は先天的なものである)、梅毒等の素因、又は基礎疾患に基因し、その主因は、第一に脳動脈瘤、第二に血管腫であるとされ、脳出血であれば、直接の動機となるものは血圧の上昇等であるが、高血圧のみでは血管は破れるものでなく、他にも動脈硬化、又は血管腫等の素因ないし基礎疾病が存していることが前提となり、特に高血圧性脳出血の場合は血管壊死等の破れ易い血管の変性状態が存在していなければならないとされている。

そして、このように病的素因ないし基礎疾病が存する場合には、脳血管損傷は特段の誘因なく発生し、特に脳動脈瘤がその自然増悪の過程において破裂寸前の状態にあるようなときには、洗面、排便、せき、くしやみ等日常生活における通常の起居動作を誘因としても生じうるものであるから、脳動脈瘤等が業務中に破裂したとしても、それが右のような破裂寸前の状態にあつた限り、右業務は単なる機会原因にすぎないというべきであり、業務と疾病との間の相当因果関係は否定されなければならない。

従つて、脳血管損傷が業務に起因すると認めるためには、脳動脈瘤等が日常の起居動作程度では破れない状態であつたこと、およびそのような状態であつたにも拘らず当該業務が原因で一過性の血圧亢進を引き起し、そのため脳動脈瘤等が破裂したことが証明されなければならない。

(三) しかるに、豊は生前会社において定期健康診断を受けていないため、その健康状態を知る医学的資料としては、本件発病による入院時の血圧が最高二六〇、最低一二〇ミリグラム水銀柱と測定されているほか何も見出せず、とりたてていう程の症状、主訴もなく良好であつた(もつとも、動脈瘤、動脈硬化の存在は、それ自体臨床症状として現れるものでない)から、豊の疾病と業務との間に相当因果関係があるかどうかを判断するには、結局のところ、豊が本件発病時に従事していた業務が従来の業務内容に比し質的にみて著しく異なるものであつたか、又は従来の業務に比し量的にみて著しく過激なものであつたため、同人が強度の身体的努力、又精神的緊張のもとにあつたかどうか、あるいはそれとは別に突発的かつ異常な災害等による強度の驚愕、恐怖等のもとにあつたかどうかを調査して、これを判断することにならざるを得ないのである。

(四) そこで、これを本件についてみるに、

(1) 豊は本件会社の取締役営業部長の職にあり、副社長阿知波キヨ子の指揮のもとで、営業部の責任者として部下四名と共に約六〇台の車両とその運行管理等の業務に従事し、労務管理にも関与しており、配車係の業務としては、据付、重量運搬、軽量運搬の三部門に分かれた各部門担当者のなす受注、運賃交渉、配車等を統轄し、その責任を負う立場にあつた。

豊の具体的な勤務状況は、日曜等の休日は普通に休んでおり、出勤日の勤務時間は配車業務の特殊性から、午前七時から八時までの一時間、および午後四時頃から六時頃までの約二時間が繁忙で、その余の時間帯は気楽に電話受注とか配車表の作成等の一般業務に従事するか、又は休息しており、比較的暇であつた。なお、豊の一日の拘束時間は比較的長いけれども、これは他の一般会社の業務終了後二時間位して仕事が終るという運送業の特殊性からくる作業時間帯のずれと目すべきものでいわゆる超勤によるものとは性格を異にしており、また、住居が同一方向である右副社長の退社時刻に合わせて共に退社していたことにもよるものである。

以上の次第で、豊の従事していた配車係の業務は、それ自体肉体的、精神的に過激な業務ではなく、同人が右業務の熟達者であつたからなおのことであり、また、長時間の拘束時間からくる疲労の累積も存在しない。

(2) 豊は本件発病当日早朝自宅で本件事故発生の電話連絡を受けたが、いつもと変らぬ調子で出勤し、午前七時三〇分頃まで社長と事故対策のための配車措置を講じた後、事故車が牽引されてきた午前一〇時頃まで一般的事務に従事していたもので、この間午前七時三〇分から約三〇分間と、午前九時三〇分頃からの三〇分間社長から叱責されたが、特に過激な業務に従事していたものではない。

(3) 右のとおり、豊は社長から叱責されたが、第一回目の事故は、専ら運転手の資質に問題があつて起きたものであつて、豊にとつてとりたてて厳しい叱責ではなかつたから、その豊に対する影響が後日まで残つたということはありえないし、本件事故についても、運送業者は、運賃額を考慮しつつ営業するため、規定の積載量を超過して運送することが多くみられ、現に本件会社も過積を命じて営業しており、本件事故の場合でも運賃の関係でトレーラーでなく奴車を使用していたためエンジン割れを起したもので、運転手の操作の誤りも一因をなしており、社長もこれらの事情を熟知していたのであるから、社長の叱責が本件事故に関してのみ強かつたとは考えられず、豊も昭和三九年一二月に本件会社に入社以来営業を担当していて右宮業の実態を十分了知し、本件のような事故の発生も度々経験していたはずであるから、本件事故の発生と、これに伴う社長の叱責に限つて異常に精神緊張をきたしたものとは考えられない。また、社長の叱責は、豊と五、六メートル離れた自席に座つてなされたものであるから、激しいものであつたとしても、おのずから限度があることは容易に推測しうるし、豊は事故発生を出社前に知つており、それ自体による衝撃はもはや殆んどなかつたか、あつたとしても既に鎮静していたことは平日と変わらぬ態度で出社していたことから明らかで、社長に会つた後、平穏裡に事後措置を講じ、その叱責後も平常の勤務に戻りこれを全うしているのであるから、豊が社長の叱責により激しい精神緊張をきたし動揺していたとはいえない。なお、当日の二度目の叱責はさほど厳しいものではなく、指導助言を中心としたものであつたことが明白である。

仮に、社長の叱責が豊に精神緊張をもたらしたとしても、本件事故発生による衝撃の持続性、叱責の強度は、本件事故当日の最初の叱責の方が二度目の叱責より大きいことが明らかであるから、豊の精神緊張も最初の方が大きかつたとみざるを得ない。従つて、豊の精神緊張が本件発病の誘因となつたとすれば、最も著しい精神緊張が生じたときに発病してしかるべきところ、豊が最初の叱責に際し発病した徴候は全くないから、より穏かな二度目の叱責による精神緊張が本件発病をもたらしたものとみることはできない。

(4) 豊が本件発病前二、三分間頭を下げてエンジンブロツクを覗き込む動作をしたとしても、そのような行為は日常の起居動作と格別異なるものではなく、本件発病と医学上有意の関連性を有するものではない。

(五) 以上の次第で、豊の本件発病が業務遂行中に発生したものであることは疑いないが、業務上の強度な精神面、肉体的負担に起因したものでなく、同人の潜在的又は先天的な脳疾患ないし脳の基礎疾病が自然に悪化し、たまたま発病が仕事中の時期と重なつたものというべく、少くとも業務に起因することが明らかな疾病とは言えないから、被告の本件処分は正当であつて取消すべき理由はない。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1の事実中豊が大阪市住吉区所在の本件会社に運行管理者兼配車係として勤務していたこと、同人が昭和四五年五月二九日午前一〇時三〇分頃同会社構内整備工場において、エンジン故障のため入庫してきた本件事故車の故障原因を調査すべく、同車の運転台のキャビンを開けたエンジンブロツクの下部をタイヤとシヤーシの上から覗き込んだことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と〈証拠省略〉によると、豊は、右調査の際直径約一・二メートルのタイヤとシヤーシの上に上つてまたがり、最初は車の後方に頭を向け、すぐ反対に向きを変えて、体をくの字に曲げ頭を下げてシヤーシより下部にあるエンジンブロックの損壊箇所を覗き込んでいたが、約四、五分して起き上がり、「頭の痛いことをしやがつて」と言いながら頭をかかえ、事故車のタイヤにもたれるようにしつつ地上に降りてその場に坐り込み、傍にいた松本増明に抱きかかえられて事務所に入り、副社長の阿知波キヨ子が体の調子について質したのに対し、右手の、次いで右足のしびれを訴え、その直後人事不省に陥つたことが認められ、その後救急車で南大阪病院に収容され、そのまま同日午後一時一〇分死亡したことは当事者間に争いがない。

二  請求原因2、3の事実については当事者間に争いがない。

三  そこで、豊の死亡原因について判断する。

まず、前記〈証拠省略〉によると次の事実が認められる。

1  豊は昭和八年九月一一日生で死亡当時三六才であつたが、昭和三六年原告と結婚以来、昭和四〇年頃に風邪を引いたとき以来医者の診察を受けたことはなく、高血圧の症状も全くなかつたし、また、昭和三九年一二月二七日本件会社に入社して以来、休日以外に休んだこともなく、死亡前日および当日とも外見上全く平常と変らぬ健康状態で出勤したこと。

2  豊が南大阪病院に入院した際測定した同人の血圧は、最高二六〇、最低一二〇ミリグラム水銀柱であつたが、これは、すでに意識不明の状態であつたこと、医学上、最高二六〇ミリグラム水銀柱では普通の状態で仕事ができないこと、および脳内に出血するなど脳血管損傷があると血圧が急激に上昇することから推定すると、脳血管損傷を起した後のものと考えられること、また、入院時脳出血にみられる腱反射の異常がみられなかつたこと。

3  医学上、脳出血は高血圧を伴い、脳内の血管が弱くなつて、血圧が上昇した場合に最も一般的に認められ、少くとも五〇才以上の老令者に多いこと、また、脳出血は血管腫が原因で起きることもあるが、血管腫がある場合には何らかの自覚を伴う臨床症状を呈し、突然血管腫ができることはないこと。

4  医学上、クモ膜下出血は脳動脈瘤が何らかの理由で破損して起きるもので、脳動脈瘤は三〇才位から素質的な奇形として現れること、そして、三五才から四五才位で高血圧症のない人の脳血管損傷の大部分は、クモ膜下出血とみられること、クモ膜下出血の場合は全く事前に自覚症状を伴わないこと。

5  豊が入院した際右病院では心電図をとつたが、同人に心臓病の所見はさ程顕著には認められなかつたこと。

6  豊に対しては入院時その容態上髄液検査をしておらず、また死亡後剖検もしていないため、病理的、解剖的見地からする診断がなされていないこと。

以上の事実関係を総合して判断すると、豊の死亡は脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血と認めるのが相当であつて、本態性高血圧症を基礎疾病とする脳出血と認めることは困難である。

もつとも、前記一において認定したように、豊は救急車で運ばれる直前、本件会社事務室において、右手の、ついで右足のしびれを訴えており、証人斎藤龍男の証言によると、片麻痺は医学上高血圧性脳出血を示す徴候であることが認められるが、前記豊の訴えたしびれが斎藤証人のいう片麻痺に該当するとの点については明白ではなく(なお、斎藤証人は左手がしびれたとの訴があつたと聞いていると証言し、証人阿知波キヨ子の証言と喰違うが、その点はさておき)、右しびれの存在のみで前記認定をくつがえすのは困難であるといわなければならない。

ついで、右脳動脈瘤の破裂の原因についてみるに、〈証拠省略〉によれば、医学上、脳動脈瘤は精神的緊張又は興奮が続いたために血圧が上昇したとか、肉体的負担の結果破裂することがある反面多少の血圧の上昇によつても破裂するとは限らないし、肉体的負担が必ず破裂を招くとは考えられず、就寝中、食事中など日常の起居動作中でもしばしば起ることが認められる。

四  そこで、豊の脳動脈瘤の破裂が業務上の事由によるものと認められるかどうかについて判断するに、原告がその主張の遺族補償給付等を受けるためには、労働者災害補償保険法一二条の八(昭和四八年法律第八五号による改正前は同法一二条)二項、労働基準法七五条により豊の死亡が業務上かかつた疾病によるものでなければならず、その疾病の範囲は同条二項により同法施行規則三五条各号に列挙されているものに限られるところ、前記認定によれば、豊の右疾病は同規則三五条一号ないし三七号の各事由に該当しないことは明らかであるから、同条三八号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かが問題となる。そして、「業務に起因することの明か」とは、ひつきよう、業務と疾病との間に相当因果関係の存在を証明しうる場合にほかならないと解され、当該業務に就かなかつたら当該疾病にかからなかつたであろうという単なる条件関係があるだけでは足りず、また、当該疾病が就業中であることを単なる機会として発生した場合、すなわち、当該疾病が、当該業務に従事していなかつたとしても日常の起居動作を契機として生じえたとか、他の社会通念上過激といえない業務に従事していても経験することが十分予想きれうるような何らかの機会において、又は他に何の機会がなくとも発生したであろうと認められる場合(以下このような場合を当該業務は当該疾病に対する機会原因をなすという)も右にあたらないというべきである。換言すると、疾病が業務に起因するといえるためには、当該業務が日常の起居動作や社会通念上過激と認められない業務の常態における活動に類するものを量的ないし質的に超える身体的、精神的負担を強いる内容を有していたため、あるいは当該業務によつて固有の危険にさらされた結果発病するに至つたと認められるなど、業務が発病に対し何らかの積極的な役割を果したと認められる場合に限るといわなければならない。 以上のような見地から本件の場合を検討すると、

1  〈証拠省略〉によれば、豊は昭和三九年一二月本件会社に運行管理者の補助者として入社し、まもなく重量物輸送の経験、手腕、熱意を買われて、昭和四二年には運行責任者に昇格し、本件発病当時は、取締役営業部長の要職にあつて、部下四人とともに電話等による運送契約の受注、運賃交渉等にあたり、これを総括するほか、配車係として会社が所有する約八〇台の貨物自動車の配車を計画し、運転手を指揮して運行を実施する職務にも従事していたことが認められ、右事実によれば、豊はかなり責任の重い、従つて心労も多い仕事に従事していたといえる。

しかしながら、〈証拠省略〉によれば、本件発病前の豊の勤務日数は昭和四五年四月は二五日間、同年五月は二九日まで二〇日間で、日曜等休日は通常に取つており、勤務時間は大体午前七時から午後八時半頃までであるが、繁忙なのは配車および車両管理業務に掛り切りとなる午前七時から八時までの一時間、午後四時から六時頃までの約二時間であり、その中間の時間帯は電話による受注配車表の作成等比較的楽な業務に従事し、退社時間が遅いのは他の一般会社の仕事仕舞後二時間位して仕事を終えるという運送業務の特殊性によるもので、いわゆる一般業務の超勤とは意味合を異にしていることが認められ、右の事実に前記豊の年令、本件会社における勤務期間、同職種における経験度などを総合すると、豊にとつて右業務が身体的精神的にさして負担になつていたとは考えられない。

また、豊が本件発病当日特に過激な労務に服したことを認めるに足りる証拠はない。

2  〈証拠省略〉によれば、昭和四五年五月二六日豊のたてた配車計画に従つて宝塚劇場へ舞台装置具を運んだ五台のトラツクが仕事を終えて帰る途中、翌二七日午前〇時二〇分頃伊丹市内の交差点において最後尾車が信号を無視したため先行タクシーに追突し、更に対向タクシーとも衝突して会社に約二〇〇万円相当の損害を与えた事故が発生し、このため、豊は社長から、運転手が無用のスピード競争するのを避けるため、各運転手に対し各車の仕事が終わり次第別々に帰るよう指導するのを怠つたとして叱責を受けたこと、同月二九日、豊が名古屋方面に向けて配車した奴車付八トン積み大型トラツクが、長尺鋼材を積み過ぎ伊賀上野においてエンジンブロツクに穴をあけ、運行不能となつて(本件事故)、会社に約四〇万円相当の損害を被らせたため、豊は同日朝社長から配車のミスと過積の点につき叱責を受けたこと、右第一回の事故の際の叱貴は、特別厳しいものではなかつたこと、本件事故の際の叱責は右事故対策の措置をとり、かつ当日の配車業務も片付いた午前八時頃から約三〇分間にわたるかなり厳しいものであつたこと、なお午前九時頃から再度注意、指導を受けたことが認められる。

〈証拠省略〉中、右認定に反する部分は採用できず、他に右認定に反する証拠はない。しかしながら、前記のように、豊は運行責任者としての経験も長く、〈証拠省略〉によれば、その仕事は性質上細心の注意を要するが、小心翼翼とした者には勤まらない種類のものであり、社長もいつまでも従業員の失敗を責める型の人物ではないことが認められ、これらの事実に照らすと、豊は、その責任を強く感じたとしても、とりたててシヨツクを受けたとも認めがたく、〈証拠省略〉中、豊が小心な面を有していたとの趣旨を述べた部分はにわかに措信しがたい。

仮に、豊が右事故に対する自責の念から相当な精神の緊張および興奮の状態にあつたとしても、〈証拠省略〉によると、豊の場合、医学上、右事故発生を始めて知つたとき、又は最初に叱責を受けたときに最も緊張あるいは興奮するものであつて、血圧の上昇にもそのときのそれが最も大きく影響することが認められるから、前記のように、豊が本件事故車の故障部位を目のあたりにして再び血圧の上昇をきたしたとしても、その程度は本件事故の発生を当日始めて知つたとき、又は当日午前八時頃叱責された際には及ばないものとみざるを得ない。

3  そうだとすると、右の機会に発生した豊の脳動脈瘤の破裂は、同人の有していた基礎疾病たる脳動脈瘤の自然増悪によるものか、右基礎疾病が既に破綻寸前になつていて、日常の起居動作によつても破裂すべき状態にあつたもので、前記業務は単なる機会原因を与えたものにすぎないといわなければならない。

4  なお、前記のように、豊は事故車の故障部位を頭を下げた状態で、四、五分間調査したことが認められるけれども、かかる動作は日常の立居振舞の部類に属するものというべく、これによつて豊の発病が促されたとすれば、それはやはり、業務が本件疾病に対し機会原因を与えたにすぎないとみるべきである。

五  従つて、本件処分に原告主張の違法はなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 上田次郎 東修三 田中亮一)

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